FACTFULNESS(ファクトフルネス) オーラ・ロスリング

概要

ファクトフルネスとは、世界を正しく見ること。人間が誰しも持っている本能を抑えて、冷静な見方をすること。これを本書は伝えている。

目次

第1章 分断本能

第2章 ネガティブ本能

第3章 直線本能

第4章 恐怖本能

第5章 過大視本能

第6章 パターン本能

第7章 宿命本能

第8章 単純化本能

第9章 犯人捜し本能

第10章 焦り本能

第11章 ファクトフルネス本能

 

本文抜粋+感想

”世界を2つのグループに分ける代わりに所得レベルに合わせて4つのグループに分けてみよう”

 世界を先進国と途上国という2つではなく、4つに分けるというのは確かに世界をより正確に捉える助けになると思われる。このグループ分けとバブルチャートは本書の最も大きな功績の一つだろう。情報を集めて、整理し、分かりやすく提示する、というたったのそれだけのことでこんなに感動するとは思わなかった。ビックリしている。

 きっとたくさん足を運んで、「だいたいこの辺で生活水準が変化する」という線引きが出来たのであろう。ただし、これはのちに出てくるパターン本能・単純化本能にもつながっていると感じる部分もある。そして、この4グループの分類はおそらく間違っていないが、今後もそうだとは言い切れないと思うのである。つねに情報をアップデートし続けることが重要だと感じる。

”人はドラマチックな本能のせいで、何事も2つのグループに分けて考えたがる。いわゆる二項対立だ。”

 これには非常に同感する。SNSでもそうだ。活動家もそうだ。二項対立に持ち込んだ議論は多いが、それらが的を射てることはほぼない。白か黒かの議論で済むような問題はもう世の中には残っていないのに。

”分断という言葉は誤解を生む誇張表現だ。(中略)平均の一歩先にある「分布」に注目し、ひとくくりにされた数字よりも一人ひとりの数字を見ることで、より正確な全体像をつかむことができる”

これは僕自身も陥りがちな問題だと思う。基本的に統計をみるときは平均を見る。平均は平均以外の意味はもたない。正規分布とは限らない。「分布」に注目しないと真実は見えない。当たり前だが、忘れやすいことだ。心にとどめておかないと。

”「悪い」と「良くなっている」は両立する”

これも当たり前の話。コロナの時代だからこそ気をつけないといけない。コロナは「悪い」状態だが、国によっては「良くなっている」ところもある。思考停止にならずに、不謹慎厨にならずに、冷静に物事を見つめ、政策を打ってもらいたい。

”女性ひとりあたりの子供の数の平均:1965年=5人、2017年=2.5人”

 これは本書で最も衝撃的なデータだった。日本は異様な少子化が進んでいると思っていたし、世界はもっと多くの子供が生まれていると思っていた。しかし、それは大きな間違いだったことが証明された。所得が上がれば子供は減る。その結果2.5人まで減っていたとは…驚きである。

”規制が厳しくなる理由の多くは、死亡率ではなく恐怖によるものだ”

 これもまた真理である。わかりやすい恐怖が、死亡率などのファクトよりも人々の注目を集める。福島の原発事故で被曝して亡くなった人がいないことは僕も忘れてた。それだけ恐怖は強い。恐怖を植え付けるものほど冷静にデータを見る。それを大事にしたい。

”目の前にある命と同じくらい、目に見えない命は重い”

 目の前の人・モノを大事にするのは当然だ。自分の半径2m以内にいる人間も幸せにできないやつは何も守れないとすら思っている。でも、この言葉が意味することは重い。命を救うというのが目標ならば、最優先事項は、目の前の命を救うことではないかもしれない。簡単なほうに逃げてはいけない。

 またこの例では、病院に来る子供という現象ではなく、その要因である公衆衛生に対してアクションを起こしたことが多くの命を救った。因果関係についても正しく捉える必要を教えてくれる逸話だ。

”「8割はどこにあるのだろう」(中略)と問いかけてみよう。”

 80・20ルールだ。最近よく見かける。物事の大枠を捉えるという意味で、このルールは大いに役に立つのではないかと期待している。

”国は違っても所得の同じ人たちのあいだには驚くほどの共通点があることがわかるし、国は同じでも所得が違えば暮らしぶりが全く違うこともわかる”

所得が生活を分けている。民族や言語や宗教ではなく。ドル・ストリートの写真を見て気づいた。この指摘はかなり鋭く、正しい。

”数字がなければ世界は理解できない。でも数字だけでは世界は理解できない。”

 本書はとてもデータを大事にしている本だから、正直びっくりした。数字で全てを理解した気になるエリートは多いだろう。自分がそうなりかけていたら、この言葉を思い出そう。現地現物主義も一緒に思い出して。

”メディアは中立的ではないし、中立的でありえない。わたしたちも中立性を期待すべきでない”

 これに対しては異論がある。メディアは全国民に向けられたものである。ファクトフルネスを身につけたものだけがメディアの偏りに気づくとするなら、いったい何人がメディアに踊らされずに済むのだろう。現段階で人口の10%も身につけていないだろう。教育の進んでいる日本でこの状態なのに、メディアに中立性を求めずに何を求めるのか。情報は怖い。意図せざるフェイクニュースで暴動が起きることだってある。それで人が死ぬこともある。ジャーナリズムは、中立性を持つべきだ。さもなくば、画面の端っこに※中立性は担保できません。とでも書いておけばいい。

 

”『ファクトフルネス』を通じて人々に伝えたいのは、情報を批判的に見ることも大事だけれど、自分自身を批判的に見ることも大事だということ”

 確かに本書を読みながら、自分はどうかな、本能に支配されていないかなということを考えさせられた。謙虚に、好奇心をもって世の中に接することのできる人間になりたい。